1. HOME
  2. ブログ
  3. 振袖ブログ
  4. おしゃれは足元から足袋のお話!

おしゃれは足元から足袋のお話!

皆様、こんにちはきものサロン桂の澤山です。寒気日ましに深まるこの頃、皆様元気でお過ごしでしょうか。本日は、おしれは足元からということで、着物を着るとき履く足袋についてお話しようと思います。

振袖の足元

足袋の歴史には諸説あります

足袋の起源については諸説あります。そのひとつに5世紀ごろに中国から日本へ伝わったとされる「襪(しとうず)」という革製の履き物が発展したという説があります。襪は指股がなく現在の靴下のような形状で、履いた後に足首のところを紐で結び脱げ落ちないようにしていたというものでした。平安時代以前の貴族は草履を履く習慣がなく、現代のスリッポンのような「浅沓(あさぐつ)」やブーツ状の「かの沓(かのくつ)」が着用されていたため、その下に履く靴下のような役割として用いられました。よって、「襪(しとうず)」とは「下沓(したぐつ)」が訛ったものとされています。平安時代に入ってからも、礼服には錦、朝服には白を着用することとされ、階級によって綾絹、練絹、麻などが使い分けられていたようです。また、特殊なものとして皮革製があり、主に蹴鞠や舞楽の際に着用されました。

また、同じく平安時代に「山家(やまが)」と呼ばれた猟師たちが、山野で足を保護するため、猿や熊、鹿などの毛皮を履き物にし、指先に股をつけた「毛足袋」を履いており、それが後世の足袋の原型となったとする説もあります。

足袋の語源にも諸説あり

襪を履いていた公家に対して、武家が主に着用したのが『単皮 (たんび)』です。平安時代の『倭名抄』には、「町人は鹿皮を以て半靴(はんか)を為(つく)る。名付けて単皮(たんび)という」という記述が残っています。単(ひとえ)の皮を使った、今でいう靴のようなもので、その「たんび」が後に「たび」に変化したという説があります。鎌倉時代の『宇治拾遺物語』に「猿の皮の足袋はきなして」という記述があることから、11世紀には「足袋」の字が使われていました。ただし、この頃に用いられた足袋(たび)は、まだ指の股が分れておらず、今のように親指が分れた形状となったのは、室町時代になってからと言われています。

柄足袋

また、ほかの説としては、足袋の形を鼻に見立て、両足揃うと4つの鼻に見えるために「多鼻」となったという説、旅に出る際に足を痛めないよう鹿皮でできた袋で足を包んで出かけ、この旅沓(たびぐつ)を略して「たび」→「足袋」と変化したという説があります。

足袋の発展について

室町時代以降、草履の普及とともに、武士の間で皮革製の足袋が普及しました。文禄(1592~1596年)の頃には、男性は白の革足袋や、小桜などの模様を染めた小紋足袋、女性は紫色に染めた紫足袋を履く習慣が生まれました。とはいえ、人前で足袋を履くのは失礼という考え方があり、武士は「足袋御免」と言って履く時期は9月から翌年の2月までなど細かく規定され、さらに老中や城主の許可が必要でした。履く時期は9月から翌年の2月までなど細かく規定されてました。また当時の武家の間では、人前で足袋を履くことは無礼とされており、礼装や主君の前では素足でいることが礼儀とされていました。一方で、戦乱の世となるにつれ、革足袋が軍装として使用されるようになりました。

白足袋

木綿製の足袋の登場

江戸時代に入ってからも革足袋が一般的でしたが、1657年に起こった「明暦の大火」の後、防火用として庶民がこぞって革の羽織などを買い求めるようになり、皮革の値段が高騰。そのため、足袋に廉価な木綿を使ったところ、肌触りがよく履き心地がよいと評判になり、急速に普及していきました。白の無地の他に、染め分け足袋やうね刺し足袋という、絹糸で刺した足袋などさまざまな種類が登場。色は時代に応じて流行が変化していきましたが、次第に白、黒、紺が主流になりました。江戸の武士の間には、礼装の際に白足袋を用いるという考え方が広まり、また 江戸町人は、紺足袋を用いるようになりました。なお、現在も白足袋や色足袋、小紋足袋などさまざまな種類の足袋がありますが、礼装には白足袋と決められています。また、宝暦 (1751年) 頃から薄地の夏足袋が作られるようになり、一年中履かれるようになりました。

留め具の進化

元禄(1688~1704年)の頃には、中国から渡ってきた財布に付いていた爪を応用し、現在の足袋の原型となる、足首を「鞐(こはぜ)」で留める足袋が開発されました。また、ボタンで留める足袋も作られるようになりました。しかし、農村部を中心に一般庶民には紐で結ぶタイプの足袋も依然として使用されており、「鞐掛け(こはぜがけ)」の足袋が広く普及するのは明治時代に入ってからでした。鞐(こはぜ)は明治時代までは2枚が主流で、現在は3枚~6枚のものがありますが、一般的には4枚のタイプが用いられます。鞐(こはぜ)の数が少ないほど正座が楽で、数が多いほど立ち姿が美しく見えます。明治から現代では

明治時代に入ると、足の保温効果や利便性、またはファッションの観点から一般庶民へ広く普及していきました。さらに、屋外でより実用的に使用する目的で「地下足袋」が作られるようになりました。そして武道や華道、茶道など、伝統的な日本の催事に使用されるになりまました。

◆今後の二十歳のつどいの予定◆

平成15年4月2日~平成16年4月1日生まれの方 ⇒ 令和6年1月二十歳のつどい

平成16年4月2日~平成17年4月1日生まれの方 ⇒ 令和7年1月二十歳のつどい

平成17年4月2日~平成18年4月1日生まれの方 ⇒ 令和8年1月二十歳のつどい


*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*—*

きものサロン桂 貴迎館
「きれいだね のお手伝い」
地元に根差した振袖呉服専門店

高松市・三木町・さぬき市・東かがわ市・綾川町・坂出市・丸亀市
宇多津町・まんのう町・琴平町・善通寺市・多度津町・三豊市・観音寺市
小豆島町・土庄町・直島町
香川県内全域を中心に

ママ振袖のクリーニング、シミ抜き、サイズ直しから、
振袖選びの、前撮り、ロケ撮影、パールトーン加工済みの振袖アフターフォロー
振袖、呉服、全てのお手伝いをさせていただいております。

桂・貴迎館

関連記事